パソコンの前にいた時代
社会人のスタートは1989年の日本IBMでした。SEとして採用されましたが根っこは心理学専攻の文系。プログラミングは得意ではありませんでした。配属されたのは製品企画の部門です。アメリカ本社で開発される製品を日本のお客様にどう届けるかを計画し、販売予測や製品アナウンスの資料を整える仕事でした。のちにローカライゼーションの部門へ移り、製品を日本語で届ける仕事を続けました。プログラムを書く側ではなく「使う人にどう届くか」を考える側にずっといたことになります。
産休と育休から戻ると世の中はWindows 95の時代になっていました。浦島太郎のような気持ちで変化についていけず、パソコンを触ること自体が苦手に。PCまわりのことはいつも部門の詳しい人に助けてもらっていました。パソコンが思うように使えない心細さは想像ではなく私自身の記憶です。
転機は身体からやってきた
キャパシティを超える量の仕事を抱えてうつ寸前になった時期があります。思い切って1ヶ月の休みを取り、湯河原での断食合宿に参加しました。合宿には毎日ヒーラーさんとのセッションが組み込まれていて、その施術と会話にどれだけ助けられたかわかりません。あの1週間で心と身体は回復し、仕事にも戻ることができました。
頭で考えるより先に身体が答えを知っている。この体験が健康への目を開かせてくれました。その何年か後にふたたび体調を崩し、今度は1年間の休職をいただくことに。それが会社を離れるきっかけでした。振り返れば湯河原で目覚めた「健康」がそこから先の私の道になっていきました。
一人ひとりの身体と向き合った年月
健康への関心の根はもっと深いところにあります。5歳の時に大好きだった父がガンで亡くなりました。あんなに大きく見えていた大人が半年でいなくなってしまう。病気とはいったい何なのか。身体の中では何が起きていたのか。その疑問は子供の私の中でずっと渦巻いていました。仕事と育児をひとりで担う母の背中を毎日マッサージするのが子供時代の私の役割で「生き返った」と喜んでもらえるのが何よりうれしかった。大学で心理学を選んだのも同じ根っこからだったと思います。
2014年に会社を離れて選んだのは癒しを提供する側になる道でした。サロンを開き、目の前の一人の身体に手で向き合う日々。2018年に出会った整膚は皮膚をやさしくひっぱって心と身体を同時にケアする手技です。高校時代に心理カウンセラーを夢見ていた自分がここで「そこに繋がった」と感じました。同じ人はひとりもいません。マニュアルより、その人をよく見ること。病院や薬に頼る前に日頃の自分ケアを大切にしてほしい。そう願って書きつづけた健康メルマガは気がつけば650号になっていました。個性心理學の鑑定書を一対一でお渡しする仕事もこの延長にあります。
WebとAIとの出会い
Webとの縁は独立した頃に始まりました。ネットで出会った亀田先生の講座でホームページを作りはじめのちにサイトはすべてWordPressへ。施術と並行して初心者向けのパソコン個人レッスンをしていた時期もあります。ただ、更新しなくなったサイトの維持費と管理の重さにはずっとモヤモヤしていました。コンテンツを無駄にしたくない。だからといってやめる決心もつかない。そんな年月が続いていました。
2025年。AIの時代になり、亀田先生のClaude講座に迷いなく申し込みました。そして講座で気づいたのです。長年のモヤモヤはAIと組めば解決できると。プログラミング言語を知らなくても言葉で適切に伝えれば難しい部分はAIが引き受けて「これでどうでしょう」と形にして見せてくれる。魔法みたいだと思いました。
もちろん一度で望みどおりになるわけではありません。本当に欲しい形にたどり着くには対話の設計と積み重ねが要ります。そこを自分の手で経験しながら長年運営してきたWordPressのサイトたちをAIと一緒に整理して静的サイトとして移設するという大きな作業をやり遂げました。パソコンの操作に途方に暮れる人の気持ちも「AIと組めばここまでできる」という実感も、両方を自分の体験として知っています。だから隣に座って一緒に進む形で力になれます。
いま
孫育てをしながら少しずつ仕事をしています。形はマンツーマンです。母の背中も施術もパソコンのレッスンも、振り返ればいつも目の前にいたのは一人の「人」でした。講座を大人数に売るのではなく目の前の一人と60分。デジタルの伴走もこころとからだのサポートも私にとっては同じひとつの仕事です。